入院生活余話。
下関の病院で入院治療を終えた後、医師の勧めもあって気管支や肺の専門病院に改めて検査入院。結核やガンなどはまったくなし。家族一同、一安心。
専門病院ということで紹介されたのは、「山陽荘」という病院。一瞬、どっきり。なぜなら、そこは結核療養所。
よく聞くと、今では名前や体制も変わった宇部市の国立病院機構・山口宇部医療センターのこと。呼吸器科の基幹病院とのこと。
宇部は私が中学、高校を過ごしたところ。同級生も肺結核で入院し卒業式を欠席した。私にとっては肺結核の病院のイメージが今でも強い。
戦後初期まで結核は不治の病と言われた。幕末の志士・高杉晋作や作家の正岡子規、樋口一葉、堀辰雄など、多くの人が結核を病み若くして亡くなった。
私は、検査入院中、のほほんとベットに横たわっていたが、結核に侵され死を覚悟し、病室にいた当時の若者は、部屋から見える美しい瀬戸内の海を見ながら何を思っただろう。
結核による死亡は、世界的には今でも上位とのこと。日本でも近年、患者が増えている。注意が必要だ。
医学は進歩を続けているが、未解明なものも多いと担当医は語った。進歩を信じて生きよう。
じいじとばあばと子供会のラジオ体操と。
私の子どもがラジオ体操に行っていたころ、会場の公園は、親と子でいっぱいだった。
近年は、子どもも少なく寂しい限り。
そこで、じいじやばあばの出番。呼びかけられて喜んで参加。
今では、「老」と「子」のコラボもすっかり定着。
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