先日、女性の民謡歌手の下関観光のお手伝いをした。
時間的な制約があって唐戸周辺に限って案内した。
私の定番は火の山山頂から人にあわせて、「あちらが九州、あれが巌流島」などと俯瞰的に下関を説明することから始まる。
心がけていることは、間違った説明をしないこと。今回は民謡歌手だから「平家踊り」の由来について述べた。
平家踊りと言われるようになったのは近年のこと。全国各地にある引接寺口説きの原点は下関であることなど。
また、巌流島の決闘はどうなのかと聞かれるので、事実は確認できない。親の敵討ちとして歌舞伎で伝えられていたが、戦前、吉川英治の小説「宮本武蔵」が評判を呼び現在の決闘話になったことなどを話すと、大変驚いていた。
歴史の真実をどう伝えるか、極めて難しい。
海峡ゆめ広場に関釜、関門航路の歴史を述べた銘板がある。両航路は戦前、国鉄によって運行されていた。それは知っていた。だが、銘板では、国鉄による関門航路の終焉は昭和39年とある。確かに、私の記憶でも駅正面の地下道を抜けると「門司港」行の連絡船が出ていた。
私は昭和17年、鉄道トンネルが完成して以後は、民間が運航しているものと思っていた。不勉強。
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