韓国・釜山市を訪問
下関市と韓国・釜山市との姉妹都市締結40周年の記念式典が、釜山市であり、下関市議会訪韓団の一員として参加しました。
訪韓するのは、3度目で十数年ぶりです。
式典は18日に行われ、両市の市長、議長など約200名が参加して行われました。
また、訪韓団は、日韓共同でユネスコ登録を目指している「朝鮮通信使」博物館なども視察しました。
世界有数の貿易港に発展した釜山港
阪神大震災以前は、日本の神戸港がアジアのハブ港(海運の拠点となる国際的な港)として君臨していましたが、震災以後、北米航路は釜山港に代わり、今では、釜山港がアジアのハブ港です。このため新港が次々と建設されていました。
コンテナー荷役を行うガントリークレーンも150基前後あるとのことです。
それに伴って新港沿いに高層のビルやマンションが建設され、米国の大都会を思わせました。
大港になりましたが、無人化の推進で大量の離職者が出ているそうです。
港湾道路にたくさんのトレーラーが赤旗を立てて止まっていました。ガイドさんの説明では、合理化反対や賃上げを求めてストライキをしているとのことでした。
釜山港
激減した日本人観光客
慰安婦など正しい歴史認識を持とうとしない日本政府に端を発して数年前から日韓関係が冷えて、日本人観光客が減り、日本語ガイドは転職を余儀なくされつつあると、旅行社のガイドさんは嘆いていました。
確かに、中国人観光客は街のあちこちで見かけましたが日本人は少ないように感じました。
加えて、韓国は、地震のない国と言われていましたが、日本人にも大変人気のある釜山市から近い慶州で地震が起き「韓国歴史の宝庫の街」も閑古鳥が鳴いているそうです。
また、釜山市内の高層建築物の人たちは大変な恐怖となっているそうです。自然災害多発の時代、悩みは一緒です。
朝鮮通信使について
朝鮮通信使は、室町時代から江戸時代にかけて朝鮮国王が日本に派遣した外交使節団です。
豊臣秀吉の朝鮮侵略によっていったん途絶えますが、朝鮮へ侵攻しないことなどを条件に再開され、260年間、両国は対等な関係に基づいて平和と友好を維持しました。
通信使は総計400~500名の使節団で、警備を担当する日本の武士を入れると行列は3000名にも及んだとのことです。
通信使は、韓陽(現・ソウル)から陸路で釜山に向かい、海路で対馬、下関などを経て大阪から陸路で江戸に向かったそうです。
使節団は唐戸の引接寺や阿弥陀寺に宿泊しました。
長府の博物館に行けば、各種の資料が保管されており、長州藩が厚くもてなしたことがわかります。
朝鮮通信使が下関に着くと、人々は唐戸の海岸などに殺到しました。また、使節団員には、医官なども含まれていたため、長州藩も熱心に学んだとのことです。
いずれにしても朝鮮通信使は、長年、日本と朝鮮の間で、戦争が起きなかった「平和の象徴」として歴史的な価値があります。
一連の資料を韓国の「釜山文化財団」と、下関市も加わった日本の「朝鮮通信使縁地連絡協議会」がユネスコ記憶遺産登録を申請しており来年には、決定される見込みです。
日本と朝鮮が対等平等で交流した貴重な歴史を下関でも大切にしたいと思います。案内してくれた関係者の皆さん。カムサハムニダ(ありがとう)。
18日、釜山の朝鮮通信使博物館にて
同 管内の展示物…下関市議会事務局撮影
下関市発行のパンフ表紙
17日、釜山市議会議長応接室にて 下関市議会事務局撮影
同 記念品として香りのあるローソクを頂きました。私が代表して受け取りました。
下関市議会事務局撮影
18日、釜山市文化財団の1室。芸術家に部屋を提供し自由に創作させていました。
下関市議会事務局撮影
18日、記念式典。市民訪問団と一緒に 下関市議会事務局撮影
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