私は4歳位から小学校卒業まで小倉(現在の北九州市小倉北区)で過ごした。
ある日、足立山の十字架を目指して、真っ白な落下傘が舞い降りた。最初は驚いたがきれいだった。興奮した。
その時、父母からも聞いてはいたが、成人になってはしっかりと学んだが、朝鮮半島に向いた十字架は、1950年に始まった朝鮮戦争中に戦死した将兵の霊をなぐさめるため駐留米軍が建設したもの。落下傘が舞い降りたのは、終戦を祈念したものだとのことだ。
朝鮮戦争。松本清張の小説にも描かれているが、北九州の港・飛行場から多くの将兵が朝鮮半島に向かい相当数が戦死者、亡骸となって小倉に帰り必要な処置を施し母国に戻ったという。異国の地で果てた若者の無念を今でも十字架は語り続けている。
核やミサイルの時代。もしも第2次朝鮮戦争になれば、軍人だけでなく日本国民を含む大量の一般人も戦争の犠牲になると軍事ジャーナリストは言っている。
日本国民の過半数は、外交努力で平和的解決を望んでいるが、一部には戦争やむなしの声もあるとのこと。
日本の戦争を知らない私だが、こうした思い出や戦争孤児の悲惨さなどは知っている。戦争は絶対にダメだ。
山吹の花
イキシアの花
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