秋田市などが今月、北前船文化の「日本遺産」の登録を目指して推進協議会をつくったとのこと。北前船の史跡がいっぱいある下関はどうなっているのだろう。
北前船は、北海道や東北の日本海から下関を回って瀬戸内に入り大阪に至る当時の大動脈。日本経済を支えた。
それだけではない、結果として各地の文化を紹介し交流した。「下関平家踊り」は各地の踊りが融合したものと言われている。
さらには、浪速に次ぐ大湊と言われた下関。下関で起きた出来事は、船員たちの話題になっていたに違いない。このため各地の北前船寄港地の民謡には下関や赤間が関を歌いこんだものが少なくない。
例えば新潟県の「新潟甚句」や富山県の「のじた音頭」は、有名な盆踊りだが、いずれも歌詞に「下関」がある。
「のじた音頭」に至っては「九州の赤間が関では、小間物屋の娘が坊さんに恋をしてやがて悲しい結末を迎える」歌詞がある。
まだ地図のない時代、赤間が関が九州でも許せるが、これは、平家踊りの歌詞の一つである「引接寺くどき」とまるで一致する中身。
歴史の街「下関」を標榜するならば、北前船の歴史をしっかり保存することは観光の面からも大切ではないか。
平家踊りの「引接寺口説き」…民踊和み会HPより
引接寺について…下関観光HPより
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